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気になっちゃう言葉

「自己啓発」というジャンル

書籍には、出版社が付けたのか書店が分類したのか分かりませんが「自己啓発」というジャンルがあります。少し古い言い方では「ハウツー(How to)本」と呼ばれるような、主に社会人向けの「お悩み解決本」を指しているようです。大学を卒業して就職する際、多くの人は総合職を目指すでしょう(理系や院卒の人なら、研究職も多いでしょう)。その方が、事務職よりも給与が高く設定されているからです。そして、総合職の多くは「営業」という仕事が占めています。学生の頃は気の合う人とだけ喋っていれば良かったのに、社会人になって営業というお仕事をするようになると、初めて会う人、生きてきた時代も趣味も、接点が全く見えない人、正直苦手な人ともお話をしなければいけなくなります。そのせいか、自己啓発本には「会話を続ける」や「雑談」、「打ち解ける」ためのハウツー本が目立ちます。また、営業を含めた総合職の中でも、経験を積んでチームや部署のリーダーを務める立場になると「人を動かす」ことや「ファシリテーター」としてのハウツーに需要があるようです。自己啓発本を見ていると、多くの人がどのような壁にぶつかっているのか知ることができます。

引っかかること

個人的には「自己啓発」というネーミングに、いささか胡散臭さを感じてしまいます。理由の一つには、私自身の生きてきた時代が影響しています。安倍元首相を襲撃した人物の背景として「宗教2世」が注目されましたが、1980年代末から2000年代にかけて「カルト」と呼ばれる一部の新興宗教(旧統一協会やオウム真理教など)が問題を起こした当時、それらと印象の近い「自己啓発セミナー」なるものがよく行われていました。それと関係あるのか無いのか、自己啓発本の中にも「ビジネスハウツー」とも「ライフハック」とも少し違う、スピリチュアルが色濃い内容のものも多分に含まれており、どうしても引っかかってしまうのです。

本来の意味と合っている?

とは言え、「自己啓発」というジャンルは先述したように、社会人の「お悩み解決本」として括られているならば、ストレスフルな世の中を生き抜くための精神的なアプローチに関する書籍が多くても、受け入れなければいけません。何より「自己啓発」という言葉自体は、「自らの意思で能力を高め、精神的な成長を目指すこと」を指すので、本来であれば、それほど違和感はありません。実際に私が新卒で入社した会社では、福利厚生の一環で社員の「自己啓発」を支援していて、新たな資格取得などに必要な費用を(現職と直接的な関連が強くないものでも)部分的に負担してくれる制度がありました。

もはや、ぬれ衣

ところで本来の意味を離れて、めっきり悪いイメージが定着しているものがあります。個人的に気になっているのは「忖度」という言葉です。辞書では、「他人の気持ちを推しはかること。推察」とあるので、ネガティブなイメージは一切ありません。ところが、国会で野党議員が与党を糾弾する際にキャッチコピー的に使用したせいで、すっかり「忖度」=「悪いこと/やってはいけないこと」になってしまいました。いくら言葉が時代に応じて変化していくものだとしても、「忖度」の意味合いが「相手に遠慮したり、媚びたり、おもねったりする」と下卑たものになっている風潮に抵抗があります。

「忖度」は悪くない

「察しと思いやりは日本人の美徳」と言ったのは、アニメ「新世紀エヴァンゲリオン」の登場人物、葛城ミサトさんだったでしょうか。「空気なんて読む必要はない」と欧米的な価値観を振りかざすのもいいですが、世界中から優秀な人を集めている宇宙ステーションなどでは日本人の協調性が高く評価されている点からも、結局はケースバイケース。日本人に浸透している「忖度」という性質の良い面が活躍する場面も、沢山あることを忘れてはいけないよう思います。また、よく耳にするから、皆が使っているから、というノリだけで言葉選びをしてしまうと、何とも空虚でステレオタイプな発言になってしまいます。私自身も肝に銘じておかねば、と自戒を込めながら、本日は豆を撒こうと思います。鬼は〜外!福は〜内!

記事タイトル気になっちゃう言葉
掲載日2024年2月3日
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