美容整形について考える
美容整形に賛成
誰もが身体を加工している
美容整形という技術が確立する以前から、人類は自らの身体を加工してきた歴史があります。例えば現代でも、一部の民族が独自の文化(美しさの表現や成人の証、あるいは身体への護符)として、首を長く加工したり唇を大きく広げたりしますが、それを否定できる正当な理由は存在しません。また、ほとんどの現代人は、髪や爪が伸び過ぎたと感じれば切ります。さらに、見た目を良くするために形を整えることや、元の髪色とは違う色に染めたり、爪にツヤを出したり色を塗ったりもしますが、それによって周囲の人から非難されることはありません。他にも、治療目的や健康のためだけでなく、印象を良くするために歯列矯正を行う人も多い現代社会において、美容整形だけが後ろめたさを感じる必要はありません。
自信を獲得、あるいは回復できる手段
美容整形は「メスによる精神分析」という捉え方もあります。他者との比較を余儀なくされる現代では、多くの人がコンプレックス(劣等感)を抱えています。同時に、健康=健やかな身体、という価値観は弱くなり、精神面での安定も重要視される時代になりました。そのためコンプレックスは解消すべきものであり、もし外見的特徴によって当事者が生きづらく感じているのであれば、その解決策として美容整形は有効です。例えば、一重瞼(まぶた)をずっと気に病んで、人と目を合わせることさえ避けていたような人が、美容整形によって二重瞼にするだけで、他者との交流に前向きになり、自信を持って快活な人生を歩める可能性が生まれるのです。
自己責任において見栄えを良くする行為
19世紀後半における整形手術は、人種差別や偏見から逃れる(例えば、人種による身体的特徴を消す)ことが目的でした。グローバル化した現代社会では、外見による差別はタブーとされているものの、「容姿の良さ」は社会的成功との関連が強いという事実があります。具体的には、容姿が優れている人の方が、他の項目において同じ条件にある容姿が醜い人と比べて、収入が高いという調査結果があります。他の項目のなかで社会的成功に影響しそうな学歴については、本人の努力である程度コントロールできますが、容姿については努力さえできない領域もあり、成功するための美容整形は権利とさえ言えます。
産業としての美容整形
2000年代に入ると「メディカルツーリズム(医療観光)」という新たな潮流が生まれています。韓国、南アフリカ、タイ、チュニジア、キューバなどではメディカルツーリズムが盛んに行われています。先進諸国と比べて手術費用が抑えられることや、あるいは最先端の高度な技術を提供できることを売りとして、海外から多くの観光客を呼び込んでおり、国によっては、美容整形を外資獲得のための新たな産業として捉えています。
美容整形に反対
多様性を否定している
日本を含むアジアで多く施術されている、一重だった瞼(まぶた)を二重にしたり、鼻に自身の軟骨や人工のプレートを足して、鼻筋をはっきりさせたりする美容整形は、欧米的な審美観を基準にしています。このような「白人美のグローバル化」は、アジア人だけでなく白人以外の人種のありのままの姿を否定していることと等しく、身体以外のさまざまな領域における均質化を招きかねません。「多様性は認められるべき」という価値観が高まっている現代においては、それに反するものとして、社会問題として捉える必要があります。
差別や偏見の温床となる身体認識
美容整形の実践者は「当たり前の容姿」や「理想の容姿」を追求しますが、そうではない自身の容姿を作りかえる行為は、「当たり前」や「理想」ではない他者の容姿も、変えるべきものとして捉えることに繋がっていきます。そのように容姿を「正常」と「異常」に振り分ける価値観は、ひいては差別意識へと発展する危険性を孕んでいます。また、アンチエイジングを強く訴求する美容整形は、老化という自然現象を「異常」なもののように扱い、誤った認識を浸透させています。
医学の実践として正当であるか
手術はどのような目的であっても、身体を劇的に、しかも半永久的に変えてしまいます。それを踏まえた上で、怪我や病気の治療が目的の場合には、「生きる」ために不可欠と判断して手術が行われることがありますが、美容整形には命の危機に直面しているような緊急性はありません。もちろん現代だからこそ、精神的な健康を目的として、つまり一種の治療として美容整形に踏み切るという意見は認められるべきです。けれども、生きづらさを解消するための「最小限」の美容整形のはずが、自らの意思で再手術を繰り返す「整形中毒」や「整形リピーター」を生んでいる事実があります。精神病理の治療行為によって、「BDD(=body dysmorphic disorder、身体醜形障害/醜形恐怖症)」という新たな病いを作り出しているのです。疾病の治療であっても、後遺症や術後の生活への影響を考慮して安易に「切って治す」選択をしなくなった今、美容整形は果たして医療行為や治療行為と呼べるのかは疑問です。
美容整形は「コンプレックス産業」
美容整形の動機としては、「普通になりたい」と切望する声が多くを占めています。美容整形の実践者には、国籍を問わずに「普通/標準じゃない」「他の人と違う」という自己認識がベースにあり、他者との比較によるコンプレックスに苛まれているのです。美容業界は、誰もが多かれ少なかれ抱えているコンプレックスを利用して、「コンプレックスは解消した方が健やかでいられる」という心理学的アプローチを仕掛けています。さらに「第一印象の重要性」についても取り上げて、それらに対する処方箋として美容整形を提案するという、マッチポンプ式のビジネスになっています。ただし、美容整形がビジネスであることよりも、医療という分野との境界線が曖昧であり、健康を盾に不安を煽る「不安産業」とも受け取れる点が問題なのです。