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ライブ(生)の魅力

優香はいいよな

先日、久しぶりにスタジアムでサッカー(ヴィッセル神戸の試合)を観戦しました。滅多に応援に行かないバチが当たったのか、試合は負けてしまったのですが、5月のスタジアムは好天にも恵まれ、吹く風も爽やかで、とても気持ちの良い一日となりました。スタジアムまで赴くと、選手だけでなく、熱心なサポーターや、(私と同じで)もう少しのんびり観戦を楽しむ人たちや、運営の人がテキパキと案内する様子や、観戦のお供の飲み物や食べ物を売る人などの活気を目にできて楽しいです。些細なことですが、座席を周回してくるビールの売り子さんが、今では電子決済で販売していたことに「ほほぉ」と妙に感心してしまいました。スタジアムでは、試合の迫力を生で感じられることも喜びですが、周辺情報によってお祭り気分を味わえるのも、そこはかとなく気分を高揚させます。気がつけば、優香さんを褒める志村けんさんの口調で「ライブ(生)はいいよな」と繰り返していました。

よく話が入ってくる

30代の頃、「シンポジウム」というものに、オーディエンス(聴衆)として参加したことがあります。私自身は「シンポジウム」なるものに全く関心がなく、いつどこでそのようなものが開催されているかさえ知る術も持たない人間です。また、時折テレビで見かける「シンポジウム」は、お堅いイメージが漂っているし、そのうえ何とも陰気臭く、すぐさまチャンネルを変えるのが常でした。テーマの社会保障制度についても「ちゃんとした知識を持っている方が良いに決まっている」と分かっていながら、「難しそうだし面倒くさい」と敬遠していました。ところが、大学の準教授(当時はまだ講師だったかも)をしている友人が、主催者側として奮闘していたので、折角の機会だと思い、けれども恐る恐る参加してみることにしました。その結果は、「行ってみたら面白かった!」でした。もちろん、DJやテレビタレントみたいな人が進行してくれる訳ではないので、エンタメ性は全くありませんし、お笑いの要素もありません。けれども生(ライブ)というものは、たとえ真面目なテーマであっても「ざっくばらん」なところがあり、興味を持って最後まで聴くことができました。

オンラインも良いけれど

たとえば今なら、YouTubeやInstagramなど様々なサービスによって、オンラインでライブ配信を視聴したり、そこに参加したりできます。また、オンラインでも配信者に質問を投げかけたり、その返答を受け取れたりと、直接的なやり取りが可能です。けれども目の前に人がいるライブと全く同じかと言えば、違う気がします。発信する側にとっても受信する側にとっても、目の前に相手がいるという緊張感によって、伝達される情報の量や話者の熱量が違ってくるのだと思います。

本来は生のもの

坂本龍一さんの生前のインタビューの中で、個人的に印象に残っているものがあります。2000年代以降の音楽業界が、配信という媒体を中心にセールスが伸びている件についてのインタビューでした。1990年代には絶頂期を迎えたCDの売り上げが衰退して、配信の音楽サービスが一般的になってきた時期に意見を求められた坂本さんは「音楽の原点回帰」の可能性について述べていました。具体的には、「音楽家は本来、生の演奏を楽しんでもらうことが本懐なので、たとえば無料の動画配信しか知らない人でも『ライブを観てみたい』と思ってもらえれば、世の中に周知するための媒体は何でもいい」というような主旨だったと記憶しています。1990年代にCDが擦り切れるまで(レコードと違ってCDは擦り切れませんが)聴き込んできた自分には、目からウロコのお話でした。たしかに、どれほどオーディオの環境を充実させてもライブ(生)での体験は格別です。ジャンルを問わず、生(なま)の体験の素晴らしさを大人にも子どもにも味わって欲しい!と感じている、ここ最近の私です。

記事タイトルライブ(生)の魅力
掲載日2024年6月22日
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