やれば「変わる」

YDK(やればできる子)と言うけれど
以前、「『やればできる』の裏表」という文章を掲載しました。その中で「YDK」について私が述べた内容をざっくりまとめると、以下のようになります。
- 大抵の子は「やればできる」
- 「やればできる」と言うのは簡単、「やる」ようにするのが大変
今回は、さらに「YDK」があまり表に出さない側面について取り上げます。それは、頑張って「やって」も期待どおりに「できる」とは限らない現実の存在です。しかし、その厳しい現実をふまえても、ある時期には「やる(取り組む、向き合う、努力する)」ことを推奨する理由についてお話します。
「できる」とは?
最大限に努力しても、思い描いたように「できる」ようになるとは限りません。例えば、短距離走で、練習が功を奏して自己ベストが格段に向上したにも関わらず、もともと走るのが速い人に、最終的には追いつけなかった、というケースはいくらでもあるはずです。努力では変え難い性質が、結果に大いに影響することもありますし、もともと「できる」人が努力して、さらに成長すれば並みの人間が追いつくことは難しくなります(大谷翔平選手をイメージすると分かりやすいですね)。しかし、努力やそれに伴う失敗は決して無意味ではありません。なぜなら、やっても「できなかった」訳ではないからです。やる前より「できる」ようになった。ただし、もっと「できる」人がいた、というだけなのです。
できなくても「やる」理由
大人になれば、もともと自分が「できる」ことに重点を置いて「やる(努力する)」方が賢いでしょう。できないことは、それを「できる」人やツールを見つけて、お願いしたり任せたりした方が上手くいくはずです。要は、時間は限られているので(老い先は短くなる一方なので)、「やる」ことに優先順位をつけた方が効率が良いに違いありません。けれども、成長過程においては「できなかったことに取り組んで、少しでもできるようにする」ことを、ぜひとも経験して欲しいです。
脆弱な自信とブレない自信
自分には得意なことがあって「クラスでも1番になった」という優越感は、もちろん本人に自信を与えると思います。でも、それ以上に、自分が何かアクションを起こせば「苦手なことでも状況を変えられた」という達成感の方が、より芯の強い、賞味期限切れしにくい自信につながると私は感じます。他者との比較で得られた自信は、自分の置かれている世界が広がるにつれて、弱まってしまう可能性が非常に高いからです。
小さくても変化=成長
結局のところ、「やればできる」と唱えている人と伝えたいことは同じなのですが、「できる」とすると上限がないような気がして、途方に暮れることがあります。なので、やれば「変わる/変わった」という言葉によって、小さな(ひとまずの暫定的な)ゴールを、どんどん積み重ねていって、達成感や自信を手に入れて欲しいと思った次第です。
記事タイトル | やれば「変わる」 |
---|---|
掲載日 | 2025年5月31日 |
カテゴリー | ブログ |
表示数 | 107views |