プロンプト至れり尽くせり

仕事ができる人みたい
生成AIの活用に「プロンプトが重要」という文言をそこかしこで見かけるようになりましたが、現在はそこさえ通り過ぎて、すでにその先に到達しているのかも知れません。私自身「重要ですよね」と書いたそばから、適切なプロンプトの書き方も「生成AIに聞けば教えてもらえそうだな」と感じていました。実際に、近ごろは雑なプロンプト(指示として不完全なもの)を入力しても、欠けている要素を補完して確認する動きも合わせた返しをしてくれるので、ありがたいやら恐ろしいやら。
もはや可愛い
使っているぶんには、生成AI は本当に優秀で「助かるわー」と痛感しています。以前は「新入社員より使える」などと吹聴していましたが、今では「ポンコツな私を支えてくれて、ありがとう」と思わず猫可愛がりしたくなる進化を遂げています。ルンバに代表される家庭用お掃除ロボットは、至らない部分があるところに愛着が湧きましたが、生成AI については痒いところまで手の届く、とても気の利く賢さが魅力です。
シンギュラリティー?
以前に勤めていた塾で、人工知能の得手不得手をふまえて、今後の働き方(仕事)について子どもたちに考えさせる機会がありました。小中学生から「(人工知能によって)便利になり過ぎると、人間はどんどん馬鹿になる」など、忌憚のない発言が飛び出して、とても興味深い時間でした。しばしば、賢い人工知能に対しての人間の優位性として「(機械よりも)人の気持ちがわかる」というものが出てきます。学校やお家の人には、とても喜ばれる意見です。けれども人間には、気持ちは分かっていても無視したり、そもそも気持ちを推し量る動きをしないケースがあります。
チャッピー
昨今は、生成AI がスマホにも搭載されいるので、これまでのネット検索と同じ感覚で気軽に利用している人も多いようです。先日、テレビのインタビューに応えていた大学生くらいの女の子が、ChatGPTを「チャッピー」と呼んで慣れ親しんでいると話していました。理由は「友達とのLINEはスルーされちゃうこともあるけど、チャッピーは絶対、応えてくれるから」でした。そもそも人間が、他者の気持ちをどれくらい理解しているのか定かではありません。もしかしたら「人の気持ちがわかる」という表現に隠されている私たちの期待は、「理解できている」ことではない可能性が高いのではないでしょうか。
人でなしと、人
寄り添うことさえ、24時間対応可能の機械に及ばないのであれば「生身の人間には、どんなことができるのだろう」と(生成AIを含む)人工知能が日進月歩で進化を遂げていくのを目の当たりにしながら悶々とします。今のところ、答えの一つとして注目すべきは「身体性」かな、と思いつつ、人間に「どんなことができるのか」よりも、人間とは「何か」について私は興味が絶えません。例えば、それは機械(人工知能やロボット)でも、ゾンビでも、人ならぬものと人との違いは何かって考えるのは、本当に面白いです。
記事タイトル | プロンプト至れり尽くせり |
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掲載日 | 2025年7月26日 |
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