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きれいな日本語とは

昔はよかった

先日、「現代の日本語の乱れ」を嘆く意見を耳にしました。大戦中、特攻する若者が家族に宛てた手紙の文面がすこぶる美しく胸を打つものであり、それが「今の言葉は酷い」という実感に繋がったそうです。

心からの言葉の重み

特攻隊員の手紙を、私は読んだことはありません。けれども、心を揺さぶるほど美しい文章だった理由はいくつか考えられます。そのひとつは状況です。現代の日本において、健康な若者が自らの死を意識することは極めて困難です。しかし戦時下では誰もが「死」と隣り合わせ。たとえ10代の若者でも出撃が決まって家族に言葉を残すとき、そこに重みが生まれるのは必然でしょう。技術を超越する、借り物ではない内から出てきた言葉の強みだと言えます。

トレーニングの賜物

もうひとつは技術面です。当時の手紙の執筆を通じた文語の訓練量は、現代と大きく異なります。また、日頃から親に対してもきちんとした挨拶や言葉遣いを求められていた当時と、現代の言葉が違うのは自然なことです。

カジュアルやフレンドリーは駄目?

子どもや若者が、距離の近い親に対してでも「おはようございます」「おやすみなさい」と丁寧に挨拶する姿は素敵だと思います。一方で、家族の親密さから「おはよう」「おやすみ」と簡略化した挨拶を交わす様子も、何ら問題はなく微笑ましささえ感じます。

平明の美徳

三島由紀夫に代表されるような修辞に長けた文章は、確かに美しいです。しかし、新聞記事に見られるような平明な文章も掛け値なしに素晴らしい。その点では、説明がなくともすんなり理解できる表現であれば、現代的でカジュアルな日本語でも「きれいな日本語」と呼んでよいのではないでしょうか。

記事タイトルきれいな日本語とは
掲載日2026年9月19日
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