考えるツールとしての「ことば」
犬も猫も考えている
犬や猫と一緒に暮らしていると、「犬や猫も、考えたり想像したりしているな」と感じることがあります。それが、当サイトを「考えるネコ、想像するイヌ」と名付けた理由の1つです。(人間だって動物ですが)他の動物は生き抜くために本能(先天的にプログラムされていること)や、反応反射による動きが多いとはいえ、自身の経験をもとに考えて行動している様子もしばしば見てとれます。私がここで述べているのは、いわゆる「パブロフの犬」のように学習によって自動化された後天的なプログラムとも違う、犬や猫が何やら思案している様子のことです。おそらく、犬や猫は行動の衝動が起こったとき、これまでその行動をやった後に何が起きたかの記憶をたどって、それを「やりたい気持ち」と「やった結果」とを天秤にかけているのです。
「答え」ではなく「答えの出し方」を知っていること
人間でも、少ないながらも自身の知識と経験を活用して、物事を考えられる子どもに遭遇することがあります。そのとき私は「なんて賢いんだ!」と手放しにその子を尊敬してしまいます。子どもは大人と比べると知識や経験が少ないので、子どもが頭を捻って導き出した答えは拙い場合もありますが、出した答えの精度よりも「答えの出し方=考え方」が身についていることが素晴らしいのです。
頭もトレーニングが必要
人間の、とくに大人は「考える」ことを放棄する選択肢を持っています。大人は考えなければいけないことが多いので、時には「考えない」選択をすることも大切です。頭にも体にも休息は必要で、休むことによって、頭も体もより良いパフォーマンスを発揮できるからです。しかし、ひたすら考えることを放棄し続けると、いざという時に、どのように考えればいいのか、「考え方」が分からず困るはずです。これは、ふだん全く運動しないでいると、いざ走って逃げなければいけない局面で、思うように体が動かないこととよく似ています。
人間特有の「ことば」
私たちは、日頃から「ことば」を使って考えています。ここで言う「ことば」とは、広い意味での「言語」ではなく、その人にとって最も身近で日常的な言葉、日本で生まれた人にとっては日本語を指しています。植物や動物もさまざまな手段で、例えば何かの物質を出したり鳴き声を上げたりすることで、仲間に情報を伝える「言語」を持っていますが、そのような他の生物の言語よりも複雑な、人間の持つ「ことば」だと思ってください。
「ことば」で考えている
仕事で新しい企画を考えなければいけないとき、あるいは日常的に、晩ごはんの献立を決めなければいけないとき、頭の中では様々な「ことば」が飛び交っているのではないでしょうか。「SNSを活用してもターゲットの年齢層と合わないから、何を使って訴求すれば良いだろう?」とか、「美味しそうなナスがあるけど、レタスが痛む前に先に使わなければ」とか。あらゆるデータ(家計や家にある食材も立派なデータです)と呼べるものと照らし合わせるとき「ことば」を駆使して、意外と混み入った思考を展開しています。
思考力を育む、はじめの一歩
ドラマや小説によく登場する、サヴァン症候群(ビジュアルイメージを全てを記憶できる)の人のように、「ことば」以外の特殊な言語を用いて考えを巡らせる人も存在します。また、サヴァン症候群以外の人でも、自身の頭にイメージ(画像や映像)が記憶として浮かぶことは少なくありませんが、多くの場合はイメージをいったん「ことば」に変換しています。つまり大多数の人にとって、考えるときには「ことば」を使っています。そのため、より深く考えたり、より複雑な事柄に向き合えるようになるためには、自身の持つ「ことば」を鍛えていくことが効果的であり、時間がかかっても結果的には効率のよい方法なのではないでしょうか。
記事タイトル | 考えるツールとしての「ことば」 |
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掲載日 | 2023年8月19日 |
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