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言語化の重要性

「言葉にできない」で逃げない

以前、とある映画の素晴らしさを伝えようとして、オフコースの名曲のタイトル「言葉にできない」を借用したところ、「言葉にしてください」と叱られてしまったことがあります。「言葉にしてください」と発した人は、気難しい印象はあっても本質的にはとても優しい人柄なので、叱咤というより激励の意味合いが強かったと思います。その優しさに甘んじて「私のボキャブラリーでは到底無理です〜」と、その場では映画の感動を言語化することから逃げおおせましたが、時間を置いて色々思うところがありました。

音楽や映像もある種の言語

ひとつは、もっと私の語彙が豊富だったとして、それを徹底的に駆使して言葉を重ねても、私が感銘を受けた映画を表現することはできないという思いは揺るがなかったということです。何かについて言葉にすることで、かえって安っぽく聞こえてしまった経験が多くの人にあるのではないでしょうか。それゆえに、小田和正さんは「言葉にできない」と歌ったに違いありません。ところが小田さんは「言葉にできない」さまざまな事柄を、音楽によって見事に表現しています。音楽は広義では言語のひとつなので、ある意味「言葉にできている」のです。そして、「言葉にできない」のような楽曲を作れて、その構成要素として不可欠な「あの歌声」の持ち主だからこそ、「言葉にできない」が許されるのだと思います。つまり、あの歌声さえ持たない私が「言葉にできない」で済ませようとしたことは、実によろしくなかったのだと反省しました。せめて「言葉にしたくない」ほど素晴らしい、と伝えれば良かったのかも知れません。

言語化によって再現性を高める

映画の感想などは、そもそも言わなくても済ませられることです。一方で、「言葉にできた方が良い」あるいは「言葉にしなければいけない」場面も多くあります。とは言え、なぜ言語化が重要なのでしょうか。それは言語化することで再現性を高められるからです。成功させたいことがあるとき、それが勉強でも、仕事でも、スポーツであっても、通常は「まぐれ」で上手くいくことを目標にしません。繰り返し、安定してできる(成功させる)、つまり再現性を高めることを目指していきます。もちろん反復練習によって、考えるより先に体に覚えさせることもあります。自転車に乗るときに、「右足でペダルを踏み込んだら次はすぐ左足で〜」と言葉を追って漕ぐ人は稀でしょう。けれども、まだ上手く乗れない子供に教えるときには、自分が無意識に行なっているプロセスを、ある程度言語化できている方が適切なアドバイスができます。単純な計算以外の算数や数学の問題に向き合うときにも、解法が本当に身についている場合は、それを言語化できているはずです。

二度と出会えないものの価値

もちろん再現性が求められていない、むしろ偶発性が歓迎されるケースも存在しています。私が思いつく限りでは、芸術の分野でしばしば見受けられます。絵画のアクションペインティング(キャンバスに、筆や手を使って絵の具やペンキを飛ばしたり叩きつけたりして描くもの)などは、二度と同じものができない点に価値を見出しています。また音楽のジャズも、その時のメンバーとその時のセッションだからこそ生まれる、一期一会の演奏を本来は味わうものです。

できなくても諦めない

言葉は決して万能ではありません。言葉を尽くしても、伝えたいことが伝わる可能性は高くありません。けれども、言葉なくして人とつながることは極めて困難である以上、言語化することを諦めてはいけないと考えています。もし、誰ともつながりたくなかったとしても、それを伝える術を持ち、それを伝えなければ、自分の領域を守ることは叶わないでしょう。私は日々、言葉の限界を感じながら、それでも言葉の持つ力や可能性を伝えるために国語を教えています。

記事タイトル言語化の重要性
掲載日2024年4月27日
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