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「歩きスマホ」と「ながらスマホ」を糾弾する

「歩きスマホ」と「ながらスマホ」

今さらな感もありますが、「歩きスマホ」と「ながらスマホ」が増えています。一般的には、前者は「歩き」ながら「スマホ」、後者は運転し「ながらスマホ」のことを指すようです。

本当に良くない「歩きスマホ」と「ながらスマホ」

これは本当に良くない、すぐに止めた方が良い、と思うのは「運転しながらスマホ」です。自分だけではなく、多くの人を危険に晒しているからです。次点で「電車のホームでの歩きスマホ」でしょうか。

「横断歩道を渡りながらスマホ」とか「ベビーカーを押しながらスマホ」についても、優先順位の判断が間違っているのでは、と思ってしまいます。

優先順位の話でいえば、「人に会って話をしながらスマホ」も、目の前の人を優先すればよいのに、と思うのですが、それを許容し合っている関係もあるようなので、こちらは状況による、というところでしょうか。

周囲からはこう見える

「歩きスマホ」や「ながらスマホ」をしている人は、周囲から次のように見られる可能性があります。まず、例として挙げたように、「優先順位をきちんと判断できない人」に見えてしまいます。また、スマホでは中毒性の高いコンテンツをたくさん楽しむことが出来ますが、それらを所構わず楽しんでいる様子から「自制心のない人」にも見えます。

そもそも、スマホが一般的になって以降、「『歩きスマホ』や『ながらスマホ』は止めましょう」というフレーズはどこかで耳にしているはずです。にもかかわらず、いまでもそれらを続けているということは、「人の話を聞かない人」なのかもしれませんし、耳に入っていたのだとすれば「遵法意識の低い人」だったり「知人や友人の前でしかきちんとできない人」だったりと、いずれにしてもネガティブな印象を与えていることは知っておいたほうがよいでしょう。

自分が「歩きスマホ」や「ながらスマホ」をしているかどうかを判断する方法

自分はやっていないから大丈夫、という人もいるでしょう。ここで、「自分が『歩きスマホ』や『ながらスマホ』をしているかどうかを判断する方法」をご紹介します。方法としてはシンプルで、「歩きスマホやながらスマホをしている人がたくさんいる」と感じているかどうか、です。スマホに目を落とさずに、きちんと周囲を見ながら歩いたり、運転したりしていれば、否が応でも歩きスマホやながらスマホが目に入るからです。そして、歩きスマホをしている人にぶつからないように道を譲ったり、ながらスマホをしている車から距離をおいたりしているはずです。

指摘されて止められる人はそもそもやっていないかもしれない

このような問題提起をして、「自分もやっていたかもしれない。今度からは気をつけよう」となる人はほんの一握りで、大半の人は意に介さないか、この記事自体にも興味を持たないことでしょう。指摘されて止めるくらいの道徳心があれば、そもそも最初からやっていないかもしれない、というのは、問題のジャンルや大小を問わず、すべての社会問題で当てはまるかもしれません。

道徳心を超える想像力

このWebサイトは「考えるネコ、想像するイヌ」と銘打っていますが、「想像するイヌ」の「想像」は、「歩きスマホをしたら迷惑かもしれない」と想像することや、「ながらスマホをしたら危険かもしれない」と想像するような、小さなことからスタートできれば、と思っています。ある事柄について、道徳心が十分に育っていなかったり、是非を判断できる材料が少なかったとしても、想像力があればそれを補うことができると考えています。あたらしい発見や画期的な発明をするだけでなく、毎日を心穏やかに、清く正しく安全に生きるのにも「想像力」は必要なのです。

記事タイトル「歩きスマホ」と「ながらスマホ」を糾弾する
掲載日2024年5月4日
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