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セルフディベートこぼれ話(その1)

伝えたいのは「私」ではない

「考えるネコ、想像するイヌ」のコンテンツ「セルフディベート」については、その目的や意図についてブログでも何度か補足説明してきました。「ディベート」という名前が混乱させる原因でもあるのですが、一般的なディベートとは異なり、それぞれの意見に甲乙や勝敗をつけることを目的としていません。ふだんは流してしまいがちなテーマについて、改めて立ち止まって「少し考えてみる」ための材料として、そして「少し考えてみる」機会を提供しようと試みているコンテンツです。そのため、私自身が世の中に何かを訴える目的は一切ありません。とくに私個人の主義主張については、セルフディベートの意見に反映されないように、細心の注意を払っています。取り上げるテーマについても、偏りが出ないように心掛けていますが、多少は好みや関心の志向性が垣間見えている可能性はあります。そこは「にんげんだもの」、ご容赦いただければ幸いです。

タイミンGood!

テーマ選びについては、「ちょっと考えてみよう」と思ってもらえるものを基準にしています。おそらく、見たことも聞いたこともないようなことは、関心を抱きにくく「考えよう」とはなりにくいので、「言葉は知っているけど、よく知らない」とか、「知っているけど、当たり前(身近)過ぎて考えたことない」ようなことを取り上げようと努めています。多くの人が関心を抱けるという点では「旬」なテーマにも着目しています。ただ、テーマを決めているのは記事を投稿する直前ではないため(数ヶ月以上前なので)、「旬」でありながらも、すぐに消えてしまいそうではない、ある程度長期的に注目されそうな、あるいは定番化しそうな問題を選んでいます。やっていて面白いのは、テーマを決定した時点では「旬」という程でもなかったものが、記事を公開するタイミングで偶然、世の中における「旬」な問題になるときです。だからと言って閲覧数が爆上がりすることはありませんが、たまたまタイミングが合うだけでちょっと嬉しいものです。

「お気持ち」だけではどうにもならない

個人的な主義主張について、自信を持って「そんなものは反映させていません!」と言い切れる理由があります。例えば、あるテーマにおいて「私は比較的、Aの意見だぜ」という自覚があっても、Bと比べて、Aの意見を支えるための材料(根拠となる事実)がなかなか揃わないことが多々あります。そうなると、たとえ自身の意見と一致していても(情熱みたいなものだけでは)、説得力のある意見として形作ることは無理なのです。また、自分の意見は定まっていないテーマにおいて、直感的に「今回のテーマでは、Aの方がまとめやすそう」と予想していても、実際に取り掛かると苦戦することが少なくありません。この場合も、意見に厚みを出せるような根拠が、予想に反して見つからないことがあるからです。セルフディベートの記事を書いているとき「あるある」なのですが、自分の意見であったり世の中の雰囲気であったり、「こっちの方がいけそう」と感じたものの方が、まとめにくい場合が多いです。

ファクトフルネス

「こっちの方がいけそう」が結局は上手くいかないのは、記事をまとめるために色々調べてみると「思ってたんと違う」ことが分かるからです。そんなとき、私は「FACTFULNESS(ファクトフルネス)〜10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」というベストセラー書籍が頭に浮かびます。セルフディベートを完成させるのに手こずってしまっても、思い込み(先入観や固定観念)を一つ解消できたと思えば苦労も報われます(と書いてみたものの、正直なところ毎回「あーしんど、もう嫌や」と思っています)。ところで、セルフディベートは提示した意見AとB以外の、みっつめの意見やプランCを考えて欲しいコンテンツなので、AもBも甲乙つけがたい、簡単にはどちらと決めにくい形になるよう調整しています。バランスを取るために、取り上げなかった情報がいくつかあり、その中には興味深いものもあります。小ネタ集みたいになってしまいますが、また別の機会に紹介できればと思っています。

記事タイトルセルフディベートこぼれ話(その1)
掲載日2024年5月11日
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