つなぐもの、つながること

石と目が合う?
先日、カルチャーセンター「エントランス」の講座「美術館ってどんなところ?」に参加し、初めて藤田美術館に足を運びました。藤田館長のお話はどれも興味深いものばかりでしたが、なかでも「石」にまつわるエピソードが印象的でした。藤田美術館はリニューアルの際に、もともとの施設にあった様々なものを再利用されていて、館内入ってすぐに目に入る「敷石」もその一つとのこと。また、茶室や能舞台など多目的に使える、小上がりと呼ぶにはかなり広い和の空間のために新しく置かれた「沓脱石(くつぬぎいし)」との出会いにもドラマが。石に一目惚れすることもあるんですねぇ。
悠久の時を越えるもの
そして隣接した庭園には、さらに歴史ある「石」(誰でも知っている寺院から来たものなど)がいくつもあり、「石は時代を越えられる」ことに今さら気づかされました。形あるものは必ず無くなると言いますが、石は形あるものの中でも火事にも地震にも比較的耐性があって、無くなりにくいものの筆頭かも知れません。庭園は無料開放されているので、小さいお子さんが石の上にのることも多いらしく、令和のちびっ子が奈良時代の石の上で遊んでいるのって、なかなか感慨深いものです。
変わっても変わらないこともある
ところで、子どもって石を拾うよなぁという話。Z世代に代表される若者たちは、それより上の世代とは価値観が違うと言われていて、ましてや彼らより次世代の今の子どもたちが触れているものって、昭和生まれである自分の頃とは全く違います。YouTubeや、サブスクのディズニープラスなどで動画を見ていたり、ニンテンドースイッチで遊んだりが当たり前の今の子どもでも、石を拾って宝物にしたり、道端でひたすら石を蹴って帰ったり、山で丁度いい長さの木の枝を見つければ、しばらく持ち歩いて振り回しています。そういうのを目にすると、そう簡単に(ちょっと時代が変わったくらいでは)「人間て、変わらないんだな」と感じます。
違っても同じところもある
オンライン対戦ゲーム「フォートナイト」で、負けそうになったら電源を切って逃げる不届きキッズも、「大乱闘スマッシュブラザーズ」で普段は見せない闘争心をむき出しにする子も、好きな食べ物を聞くとかなりの確率で「お寿司」と返ってくるところにも、私は妙に安心感を覚えています。お寿司は、令和も平成も昭和も、団塊もバブルも氷河期もゆとりもZ世代も関係なく、ひろくつないでくれている気がするからです。今は「みんなちがって、みんないい」の時代ですが、違っていても、共通するものや感覚、共感できることも沢山あるはず。「石」が越えてきた時代に比べると、とても小さな規模になりますが、「お寿司」は世代を越えるというお話でした。日本人で良かった。
記事タイトル | つなぐもの、つながること |
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掲載日 | 2025年2月22日 |
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