「深い想像力」をもつこと

被害者の気持ちを想像する
私達の暮らす世界では、毎日、どこかで災害や犯罪が発生しています。近年、異常気象による災害も増えていますし、ITやネットワークを駆使した巧妙な犯罪も増えています。運悪く災害や犯罪に巻き込まれた人は「被害者」となり、その後の人生を送っていくことになるのですが、この被害者の気持ちや状況について、本当に理解したり支援したりすることはできるのでしょうか。
被害者だからこそ
災害や犯罪に巻き込まれた当事者が、時間をかけて立ち直り、その後災害ボランティアに参加したり、犯罪の防止に取り組んだりすることはよくあります。同じような災害や犯罪に巻き込まれた経験があるからからこそ、被害者の気持ちを想像し、必要なサポートを提案することができるのでしょう。「私も被害者なんです」という言葉以上に、説得力のある寄り添い方はないのかもしれません。
被害者ではなくても
一方で、被害者ではないけれど、災害や犯罪に立ち向かう活動に取り組んでいる方もいます。ある災害や犯罪が発生したとき、被害者を助けることができるのは主に被害者以外の人であるのは当然のことなのですが、実際に汗をかくことができる人は限られています。そんな彼らに対して「偽善」であるとか「被害者じゃないから本当の辛さはわからないのでは」といった評価をすることが間違っていることは火を見るより明らかです。
被害の程度や状況によって
実際のところ、似たような災害や犯罪の被害者だからといって、完全に気持ちを理解したり、不足のないサポートをしたりすることは難しいのではないでしょうか。具体的な被害の状況は人によって異なりますし、被害を受けたことによって傷ついた感覚の大小も、人によって異なるからです。「私も被害者なんです」という寄り添い方がいつでもうまく行くわけではなさそうです。
深い想像力をもつ
だからといって悲観する必要はありません。過去の被害者のことばで救われることも多いでしょうし、被害を受けていない人からの支援ほど心強いことはありません。「被害を受けていない私が行くと煙たがられるかも」とか「被害の程度が軽かったことを責められるかも」といった、浅慮で作り上げたみえない壁を乗り越えて、実際に手を動かすに至ることができる「さらに深い想像力」を身につけることが求められているように思います。
記事タイトル | 「深い想像力」をもつこと |
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掲載日 | 2025年3月1日 |
カテゴリー | ブログ |
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