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ちっちゃな変革

パラダイムシフト

私事ですが、昨年末あたりから「順番」を変えることにしました。国語の個別指導を職業としている状態で、以前は「人並みに稼げるようになったら遊ぼう」とか「ボランティア活動に携わろう」と考えていました。ところが「人並みに」のハードルが思いのほか高く、このままではいつまで経っても、やりたいことに辿り着けないかも…という危機感を覚えたのです。そこで、思いきって基準の曖昧な「稼げるようになったら」をいったん脇に置いて、今できることから「どんどんやっていこう!」に切り替えたのです。「順番」を変えたというより、無くしたと言えます。

無料ではない無料塾

現在の形で「個別指導」を始める際も、実現の可能/不可能を考慮せず自身の希望だけを言えば、そもそもは「無料塾」をやりたかったのです。きっかけは、お笑いコンビ「笑い飯」の哲夫さんが主宰されている、無料塾を知ったことにあります。私はお笑いが好きな単純な人間ではありますが、さすがに「哲夫さんがやっているから」だけが無料塾への関心の理由ではありません。世の中には、他にも多くの無料塾が存在しますが、哲夫さんの無料塾に魅力を感じた理由は直接的には公的な補助金に頼らない「実質無料の塾」という点でした。

ソーシャルサービスの難しさ

組織として公的なところから直接補助金を得る代わりに、(国とは別に)自治体が教育費として子どものいる家庭に支給している金額をベースにした月謝を設定しているので、親御さんの金銭的な負担は「実質」無料という建てつけだったと記憶しています。この仕組みの最大の利点は、生徒側は「お金を払っている」ので肩身のせまい思いをしない点と、アルバイトの講師に大手塾ほどではないにせよ手当を支払える点にあります(あくまで個人の見解です)。教育や食事などは必要不可欠なので、(ほぼ)無料で提供されているケースがありますが、そのような取り組みを邪魔するものとして、まだ世の中の一部の人たちに「無料を利用することは体裁が悪い」という考えがあるところが、大きいように思います。

個人の難しさ

少し話が大きくなってしまったので、私個人の小さな話に戻します。もともと無料塾が理想だったなら、私の国語の個別指導も「無償で教えればいいじゃないか」となりそうです。ただ、言い訳にしか聞こえないかも知れませんが、私の労力以外のコスト(スペースを使用する費用など)もあるので、教えれば教えるほど赤字が膨らむ形では継続できません。継続できないものは、しかもそれが教育関連である場合、私は「信用ならない」と感じてしまうので、サステナブルであることは譲れない重要事項なのです。

春だし、前とか上を向こう

先日、ある方に「細々と国語の個別指導をしているんです。まだ軌道に乗せられなくて。てへ(はずかしくて笑ってごまかす)」とお話しすると、「あとは実績ですね!」と励ましのお言葉をいただきました。実績はあるにはあるのです。一般的に言う塾や家庭教師にとっての実績とは、指導した生徒が名のある学校に合格したかどうかだと思うのですが、いかんせん個人で教えているので大手塾のように数のインパクトを出すことができず、見せ方が難しいなと感じています。そんなこんなで、多様なベクトルの悩みは尽きないのですが、とにかく今できることは、たとえ遊ぶことでも「やっていこう!」と切り替えたので、ある意味で前向きになれている、2025年の4月です。

記事タイトルちっちゃな変革
掲載日2025年4月5日
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