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自由と愚行権

愚行権とは

「愚行権」とは、他の人に迷惑をかけない限りは、他の人から見て愚かに思われるような行為をする自由を指します。イギリスの哲学者であるジョン・スチュアート・ミルが著した「自由論」から展開された権利で、個人の幸福や自己決定を尊重する考え方です。大本をたどると、文明や社会が発展し続けるためには「個性」や「多様性」が必要である、ということを言っています。19世紀中期にこの考え方に至っていたのは驚きです。

色々な愚行

「愚行」にもいろいろありますが、高尚な例では「誰からも評価されない研究を続けること」や「政治家が政党を離れてまで法案に反対すること」が該当するように思いますし、卑近な例では「お酒を呑むこと」や「タバコを吸う事」も含まれそうです。いずれも、厳密に言えば「他の人に迷惑を〜」の前提に触れているようにも見えますが、現代社会では許容されているのが現状です。

周囲が辛い愚行

愚行権における愚行を真正面から実行すると、周囲がうろたえることもありそうです。例えば、病人が医師の提案を無視して治療を受けなかったり、民間療法に傾倒したりすることや、学生が急に学校をやめて、夢に向かって挑戦したいと言い出すこと、あるいは家庭の大黒柱であるサラリーマンが急に会社をやめて独立すると言い出すことなどです。自分の命をどうするのか、自分の人生をどうするのかを自分が選んでいる点で、かなりピュアに「個人の幸福」や「自己決定」に迫っているように思いますが、いずれも周囲の心情は穏やかではなさそうです。

愚行の程度をコントロールする

どのくらいの愚行であればちょうどよいのか、というのは状況によって異なるので、基準を見出すために極端な例から考えてみましょう。「愚行しかしない人」と「愚行を全くしない人」がいるとすれば、おそらく「愚行しかしない人」のほうが、ストレスが少なく、社会的に成功する可能性が高いような気がします。しかし、愚行しかしない人はいくら他の人に迷惑をかけていないといっても、人に嫌われてしまうでしょう。これらを鑑みて「いつもの自分よりもすこしだけ愚行をする方に寄せる」ことや、「大事な決断のときは愚行の方に寄った判断をする」くらいがちょうどよいのではないでしょうか。

記事タイトル自由と愚行権
掲載日2025年10月25日
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