稚拙美
愛される「ヘタうま」
とある美術展覧会で、私は初めて『稚拙美』という言葉を知りました。それは技術的に拙い美術作品や、あえてその素人っぽい表現を愛でる美意識のことです。大人の描く「子どもの絵のような作品」は、表現として意図的なケースもあれば、単に下手なだけなのに、その味わいが個性として評価されるケースもあります。昨今では「ゆるキャラ」や「ヘタうま」が浸透していますが、巧くない絵が注目を集める事例は、室町時代にすでに見られました。世界的にはアンリ・ルソーの作品などが代表例です。
子どもの絵
そういえば『稚拙美』という言葉を知る前から、母の日や父の日に商業施設や公共スペースに貼り出される、子どもの描いた「おかあさん/おとうさん」の絵が好きです。大抵は未就学児が色鉛筆やクレヨンなどで描いたもので、なかでも描きなぐったような大胆な絵に惹かれてきました。私の場合、その抽象度の高さに「アートだなあ」と感心しているのではなく、視力も筆記具を持つ握力も弱い年頃の絵として「こうなるのが自然なんだろうな」と、しみじみしています。
注目の対象
幼ければ幼いほど、その絵は顔にフォーカスされています。体の他のパーツは、大きな丸(顔)に、あわよくば手足がくっついている程度です。その絵を眺めていると「本当にこんな風に見えているのかも知れない」という考えが頭をよぎります。絵の上手い下手は問題ではなく、幼児が何を認識しているのかが見えてくる気がするのです。
乱発禁止
「かわいい」と聞けば、ほめ言葉だと感じますし、「かわいそう」という響きからは思いやりを受け取ることができます。けれども個人的には、乱発することは控えたいと感じています。理由は、どちらも基本的には目下の者への言葉であり、年齢によらず自分の立ち位置がやや上になってしまうからです。いわゆる「上から目線の言葉」に聞こえるリスクがあるためです。
「かわいい」のチカラ
とは言え、稚拙美については「かわいい」と表現せざるを得ません。味がある、微笑ましい、素朴でほっこりする、とバリエーションがあっても通底する感情や直感は「かわいい」なのです。それだけでなく、テクニックを持たない素人の作品がプロの超絶技巧に対抗しうることもあるというのは、ちょっとした希望を感じさせます。人間味や人間くささ、つまりは「人間」そのものに価値があることを示す一例であると(やや大袈裟ですが)まとめたいと思います。
| 記事タイトル | 稚拙美 |
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| 掲載日 | 2026年10月18日 |
| カテゴリー | ブログ |
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