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混ぜるな危険

多様な英語

先日、インド人の先生による「瞑想」のレクチャーを受ける機会に恵まれました。日本に長く住んでおられる方だったので、基本的には日本語でレクチャーしてくださいました。ただ、参加者に英語圏の方がいたこと(この方も日常会話レベルの日本語力は十分でした)や、瞑想の解説の複雑さから時折英語混じりになります。「あ、英語になっちゃった。ごめーん」と、はにかむチャーミングな先生。私は英語は話せませんが、インドの人が話すくせのある英語は聞き取りやすいと思っているので不都合はありませんでした。

トリリンガル?!

日本語のターンと英語のターンがあるのは苦にならなかったものの、瞑想に直結する単語としてサンスクリット語が飛び出してきました。さすがに本場の発音のサンスクリット語は、耳馴染みが無かったので戸惑いました。もっとも、ヨガ哲学における瞑想の基礎知識もないので、日本語としてカタカナに変換された単語であっても分かりません。そのためサンスクリット語については「専門用語」だと大雑把に認識することで、全体の話を掴むことは可能でした。

問題はここから

最も困難を極めたのは、3つの言語がシームレスに入り乱れる場面でした。たとえば文単位や、ある程度のまとまりで入れ替わるならまだ追いつけます。しかし、一文の中で唐突に言語が切り替わる状態はかなりの集中力を要し、私の語学力では理解できない部分もありました。ふと、英語ネイティブにとって「下手な英語よりも聞き取りにくいのは、日本語まじりの英語」という定説を思い出しました。

ユーレカ!

それについて「なるほど、こういうことか!」と体験を経て、実感することができました。と同時に「ルー大柴さんの英語は、実はよく通じる」という説も頭に浮かんできました。こちらの説は、一体どういうカラクリでネイティブによく伝わるのか気になりますが、検証は次の機会に譲ります。ちなみに瞑想については、東洋人(インド人)からお話を聞けて良かったです。瞑想を西洋人が再解釈した「マインドフルネス」との似て非なる部分を少しだけ理解できた気がするので、有意義な体験でした。

記事タイトル混ぜるな危険
掲載日2026年10月3日
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