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ナラティブの重要性

「当意即妙」に痺れる

私は幼稚園児の頃、日曜日の演芸番組「笑点」に出ていた桂歌丸さんに憧れていました。1980年頃の歌丸さんは、まだ「笑点」の司会者ではなく、大喜利の回答者の1人でしたが、髪が薄かったこともあり実年齢よりも老けて見え、子供だった私の目にはすでに「おじいちゃん」の風貌でした。私はそのおじいちゃん然としたビジュアルが好きだったわけではなく、毎回大喜利で放たれるエッジの利いた回答に惹かれていたのです。お題に対して、あんなに短時間で、知的で皮肉の効いた、あるいは自虐をふんだんに盛り込んだ回答で笑いをとり、その場を締めくくるのをみて「歌丸マジかっこいい」と思っていました。

大喜利の裏側

小学生くらいまでは、大喜利における歌丸さんの知性と瞬発力を「超絶かっこいい」と思っていたのですが、夢見る子どもに水を差す大人はいるものです。ある時、「笑点」の大喜利はガチのライブではなく事前にお題を知らされていたことや、本番までに回答を練っていることを聞かされました。また大人になるにつれ、歌丸さんの周辺の回答者が「マヌケ」や、むやみな「元気者」など、与えられたキャラクター(役割)を真摯にこなしていることにも気づきました。大喜利の席にいる噺家さんたちは、その役を割り振られれば、誰しも歌丸さんのように機知に富んだ回答ができるに違いありません(知らんけど)。これを知って、私の歌丸さんへのリスペクトは消滅していったのかというと、決してそんなことはありませんでした。

誰でも同じ、ではない

歌丸さんへの憧憬は、いつしか噺家さん(落語家)全般に向けられるようになりました。落語や漫才は、話やネタを書き起こしたものを、ただ覚えて読み上げるだけでは少しも面白くなりません。素人に限らず、玄人であっても上手く笑わせることは簡単ではないのです。話すときの間や、語り口、表情など、面白い人とそうでない人には大きな隔たりがあり、それこそが技術やセンスの違いと言えるでしょう。ところで、ビジネスや医療の現場で「ナラティブ」というものが取り上げられることがあります。「ナラティブ」は直訳すると「物語」です。「物語」を表す別の単語である「ストーリー」と、この「ナラティブ」とは何が違うのでしょうか。

「ナラティブ」と「ストーリー」

落語に置き換えると、「ストーリー」とは、ネタを書き起こしたものを指しています。そして「ナラティブ」は、噺家さんそれぞれの語り口を指しています。つまり、「ストーリー」は同じものでも、噺家(語りべ)によって「ナラティブ」は変わるのです。「まんじゅうこわい」という「ストーリー(物語)」が、名人の「ナラティブ(語り)」によって面白い落語となるということです。あるいは、未熟者の「ナラティブ」によって退屈な落語にもなるでしょう。

ナラティブとは

ビジネスシーンや医療、教育の現場で用いられる「ナラティブ」とは、「当事者による語り」を指しています。当事者から見たある出来事や置かれている状況、そして当事者目線による感想や感情を語ってもらうことで、問題の改善や解決につなげていく方法が「ナラティブアプローチ」と呼ばれています。

説得力を支える「ナラティブ」

ここでは、他者のナラティブを引き出すことではなく、情報を発信する際のナラティブの重要性について考えています。情報発信というような大それたものでなくても、人に何かを伝えたいとき、その難しさに直面することは少なくありません。私自身も、どれほど誠意を尽くしても上手くいかないことの方が多いと感じています。落語の名人は、同じネタでもお客さんの反応に合わせて語り口や間を変えています。人に何かを伝えたいときの「ナラティブ」は、ただ自らを開示するだけでなく、届ける相手によって変化させていくことも大切なのだと思います。

記事タイトルナラティブの重要性
掲載日2023年9月2日
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