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2024年→1995年

被災経験について

2024年は、元日から大きな災害が起きてしまい、どうしても感慨にふける年始となりました。私は大学生のときに阪神・淡路大震災を経験しました。次々と入ってくるニュースからは、二次災害の火災の様子も伝えられて来ており、戦々恐々としていました。今回の輪島市のように、当時の友人が住んでいた神戸市長田区のかなり広い範囲が、焼け野原になってしまったからです。建物の倒壊や道路の崩落も命を脅かすものですが、救助活動によって数日ぶりに助け出された、というよい報告もよく耳にしていました。しかし火災が起きてしまうと、そのような一縷の望みも絶たれてしまいます。阪神大震災は早朝に発生したため、各家庭が朝ごはんやお弁当の準備で煮炊きしている時間帯だったことが災いしました。

失わなかったものに目を向けたい

私の母は被災した当時も、その後何十年経っても、震災が大変だったことを繰り言にしていました。たしかに何ヶ月も続く、しかもいつ終わるか分からない避難所生活や、もともと住んでいた場所を失ってしまったことは「大変」でした。それでも、私はそのような母の態度に違和感というより反発を覚えました。私や家族は、怪我もなく無事だったからです。どこか遠くの国の戦争ではなく、自分が今いる場所で亡くなった人、家族や大切な人を失った人が数えきれないほどいる状況では、さまざまな「大変」なことよりも家族の無事が何にも代え難いものに思えました。たとえ、家を失ったり借金を抱えることになったりしても、私は家族や自分が生きていたことが、何より幸運だったと感じています。

幸運の定め方

「生きてるだけで丸儲け」というのは、明石家さんまさんの座右の銘だったと記憶しています。「もうけ」という言葉を使っているので、少し下卑た印象を与えなくもない言葉です。けれども「命あっての物種」という慣用句があるように、生きていること自体がとてもラッキーなのだと感じられる場面が人生にはあります。また、「人間万事塞翁が馬」「禍福は糾える縄の如し」という言葉があります。前者は、人生において何が幸福となり何が不幸となるか分からないという意味です。後者は、幸福と不幸はより合わせた縄のように交互にやってくる、あるいは禍(わざわい)が幸福に転じたり、その逆もあるため、この世の幸不幸は表裏一体なのだという意味です。

禍福は転じるもの

震災を経験したからなのか、それよりも前から自分にしっくりきていたのかは分かりませんが、私は何気ない日常においても時折「塞翁が馬」と「禍福は糾える縄の如し」という言葉が頭をよぎります。だからと言って、北陸で被災した方々に対して「震災で経験した不幸は、必ず幸福につながりますよ」などと無邪気で不謹慎なことは断じて言いません。ただ、私自身は阪神・淡路大震災を経て、死生観が大きく変わりました。年老いたものから死んでいくという、ある種の自然の摂理のようなものが、まったく通用しない場面に直面したことは、当時10代の自分にとって意義がありました。決して、そのことが後々の幸福に繋がっているとは思いません。もしかしたら知らないままでいた方が、不安や心配の少ない、幸せな人生を歩めた可能性もあります。けれども歳若くても、人からどれほど愛されていても、あっけなく死んでしまう状況があり、そして残された人々がどれほど悲しむのか、についてリアルに想像できない人間には今更なりたくないのです。「塞翁が馬」のように、不幸が必ず、あるいは直接的に幸福につながる訳ではないと思っています。しかし、たとえ不幸な出来事でも、そのときに得た経験を先々に生かすことはできるはずです。

むつかしいことをやわらかく

年始は楽しい内容にしようと考えていたのですが、震災についてふれたことで重苦しい内容になってしまいました。何よりも、全体的に自己啓発っぽい気持ち悪い印象になってしまい自分でも残念です。結局は何が言いたいのかと尋ねられれば、やはり「生きてるだけで丸儲け」ということです。そして付け加えるなら「元気があれば何でもできる」ということです。明石家さんまさんやアントニオ猪木さんに思い入れはないのですが、これらの言葉は、実は金言なのだと改めて感じました。とくに、当たり前のこと過ぎて軽く流されやすく、あまり有り難みを感じない雰囲気によって、庶民的で等身大の素晴らしい格言になり得ているのでしょう。一見アホみたいに凄い(ためになる)ことを言う、そういう人に私もなりたいです。

記事タイトル2024年→1995年
掲載日2024年1月6日
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