お天道様には背けない
寒くても立春
今年(2024年)の立春は、2月4日でした。子供の頃から、1年で最も寒いこの時期に訪れる「立春」に対して、「どこが春だよ」と数えきれないくらいツッコんできましたが、この年齢になってようやく「なるほど」と合点がいきました。決して、温暖化の影響や暖冬とは関係ありません。大雪警戒のニュースが繰り返されるだけあって、今日はかなり寒い、と感じる日がありました。けれども、まだ天気が崩れていない日中に、ふと春の陽光を感じたのです。太陽の高さが違うのだと気づき、冬の晴れた日ではなく、確かに春が立って(始まって)いるのだと納得しました。考えてみれば、立春は冬至からひと月以上経っています。日照時間の違いを感じ取れるタイミングなのだなと今更ながらに感心しました。
月か太陽か
旧暦は、月の満ち欠けに合わせた暦なので、現在採用されているグレゴリオ暦(太陽暦)とは、1ヶ月ほどズレています。「立春」や「大寒」、冬ごもりした虫が這い出てくる頃の「啓蟄(けいちつ)」などは「二十四節気」というもので、太陽の動きを元にして作られています。そのため、古くからあるものですが、現代のカレンダーとのズレはほとんどありません。実は、これまで「旧暦」と「二十四節気」をずっと混同していたので、それらの根本的な違いが分かって、個人的にとてもスッキリしました。
変動するのは不便
月の満ち欠けも地球上のあらゆる現象と関連が深いので、昔の人が暦に採用していたのは、それ程おかしいことではないと思います。ただ、江戸時代は、時間は太陽(日照時間)に合わせた不定時法を使っていたので、そのチグハグは気になります。いずれにせよ、旧暦も不定時法も「効率が悪い」という理由で、明治維新以降は欧米に合わせた、グレゴリオ暦と定時法が採用されました。旧暦は、年によって閏月(うるう月)を入れたり入れなかったりして季節を調整する上に、閏月を入れる時期を固定していないため、一定ではないという不便さがあります。不定時法は、日照時間によって時刻を決めるので、季節や地域によって「刻(こく)」と呼ばれる時間の長さが変わってしまい、やはり一定ではない点が不便です。
不定時法の時計
驚くことに、文字どおり刻々と変化する「不定時法」の時刻を表せる時計が存在します。東京国立博物館に展示されている「万年時計(万年自鳴鐘)」は、不定時法時刻だけでなく、二十四節気や旧暦日付、月の満ち欠けなども表示されます。現代でも、ムーンフェイズやパーペチュアルカレンダーなどの機構が搭載されているものは、複雑時計と呼ばれ、腕時計であれば最高級品扱いです。「万年時計」は、東芝の創業者である田中久重が、1850年(嘉永3年)から1年かけて作りました。服部セイコーの創業者ではないのが個人的に興味深いところですが、田中久重は「からくり儀右衛門」として有名なので当然とも言えます。ところで、当時(江戸時代)は「万年時計」のような機械式時計は稀少であったため、庶民には日時計が主流だったようです。また、和時計などを管理していた城や寺が、鐘を鳴らして時報の役割を担っていました。
一周まわって効率的
一定ではない不便さが伴う不定時法も、逆に現代だからこそ求められる要素があるように感じます。たとえば、体内時計とのズレによって不調を訴える現代的な病気(うつや不眠症など)も、日照時間に着目してタイムスケジュールを見直すことで、改善される部分が大きいのではないでしょうか。効率の優先を否定はしませんが、文明が進んでも人間が動物であることに変わりなく、その活動を自然から完全に引き離すことは不可能に思えます。不定時法をワールドスタンダードに推奨しているのではありません。ただ、一部の企業が導入している「サマータイム」のように、可能な場面においては日照時間に合わせた調整を行なっていく方が、個人のフィジカルやメンタルは安定し、結果的に全体にとっても「効率」が上がる気がしています。
記事タイトル | お天道様には背けない |
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掲載日 | 2024年2月17日 |
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