読込中

セルフディベートこぼれ話(その3)

着想はここから

セルフディベートでとりあげた「不老不死について考える」というテーマは、「葬送のフリーレン」という漫画原作のアニメ作品がきっかけになっています。主人公のフリーレンはエルフ(妖精)という種族で、人間と比べると老いのペースが圧倒的に遅く、作品の中での寿命は1000年以上とされています。いずれは死ぬ存在なので「不老不死」とは違うのですが、10世紀以上も生きられるとなると「物事の見え方が変わってくるのでは」と思い、セルフディベートのテーマにしました。

曹操のフリーレン?!

「葬送のフリーレン」は、日本経済新聞が毎年発表している「ヒット商品番付」で、2024年の上半期の西前頭にその名を連ねました。(ちなみに、同番付の横綱は「新NISA」と「円バウンド」でした)。日経新聞で取り上げられたことによって、作品を知らない多くのおじさんがネット検索したからか、検索キーワードを打ち込んでいる途中から、検索候補の1番目に「曹操のフリーレン」と出てくるのでニヤついてしまいました。日経新聞を好んで読むのはおじさんで、おじさんは「三国志」が好きだから、という連想は偏見かもしれませんが。もしかしたら「曹操のフリーレン」という異世界転生もののコンテンツが、実在するのやも知れません(知らんけど)。

「葬送のフリーレン」

私は「葬送のフリーレン」のアニメしか見ておらず原作の漫画を読んでいないので、物語全体のテーマには言及できません。しかし、設定とこれまで放映されたアニメで描かれた部分を見た限りでは、「死生観の異なる者、つまり価値観が大きく異なる者に対する興味と理解」みたいなところが中心にあるように受け取りました。実際にそうなのかはさておき、少なくとも私自身の琴線に最も触れたところでした。エルフの主人公フリーレンが、かつて共に魔王を倒した仲間(人間)との出会いや別れを通して、どのように変化していくのかが見どころです。1000年以上の寿命を持つエルフにとって、仲間たちとの旅は「たった10年」のことでしかなく、フリーレンは人間との寿命の違いからか「人間の考えていることはまったく理解できない」というスタンスだったのですが……

相互理解のお手本の1つ

エルフと人間のように寿命が10倍以上違わなくても、互いに人間同志でも、見てきたもの食べてきたもの生きてきた時代や場所が違えば、価値観は異なります。「葬送のフリーレン」を観ていて私が好もしく感じているのは、極端に違うものに対してネガティブに捉えない、という点です。主人公のフリーレンの、「正直まったく分からないけれど、それでも人間を分かろう(知ろう)」とする姿勢は、実に平和的で友好的です。共感を抱くのが難しいとき、まずは相手のどこが、どんな風に自分と違うのかを把握することが、相互理解につながるのだと思いました。これは「多様性を受け入れる」みたいな難しげな問題を扱う際に、教科書的によく言われることでもあります。

関心を持つこと

ところで、フリーレンにとっては自分よりも人間が先に死ぬことは当たり前ですし、1000年も生きれていれば、その経験は初めてではありません。しかしフリーレンは、仲間が亡くなってから「どうして(生きている間)知ろうとしなかったんだろう」と後悔しました。仲間との永遠の別れによって、もともとは人間に関心が薄かったフリーレンが関心を抱くようになったのです。仲間と過ごした(エルフにとっては)「たったの10年」が、他の時間とは密度がまったく違ったとも考えられますし、単純に好意の有無による差なのかも知れません。いずれにせよ、相手との違いを知ることが相互理解につながるなら、とにかく「関心を持つこと」がはじめの一歩だと思いました。

「好き」は大事

セルフディベートの「不老不死について考える」と、今回ここで述べたこととでは、論点は変わっています。ついでと言っては何ですが、ふと人生を振り返ってみると「好き」というのは良いものだと改めて感じます。私の場合、友だちの「好き」なものを取り込んで、自分の幅を広げてきたと言っても過言ではないからです。自分=ひとりの人間の「好き」の範囲には、必ず限界と偏りがあります。もちろん、自分だけが好きなものを深く掘り下げていく行為も有意義ですが、掘り下げる対象が増えることも人生を豊かにしそうです。また、自分が好きな人の好きなものには自然と関心を抱けますし、こういうことが友だち(他者)との関わりがある方が良い、といわれる根拠の一つなのかも知れません。

記事タイトルセルフディベートこぼれ話(その3)
掲載日2024年8月31日
カテゴリー
表示数 204views