現代アートは、マヂカルラブリー
悩める画家たち
カメラが一般に普及するようになった頃、絵画は大きな転換期を迎えました。精巧さを求めるなら、肖像画や風景画は写真で代替可能だからです。絵画だからできる表現は何か、絵画でしかできないことは何なのか。見たままを描くことをやめたり、見えないものを描こうとしたりと画家が模索する時代がありました。「キュビズム」や「シュルレアリスム」がそれにあたります。
複製可能な世界で
文明の利器の進化はとどまることを知りません。印刷技術や複写技術は今なお精度を高め続けています。古くから鋳造技術などは利用されていたとはいえ、3Dプリンタの登場で立体造形のコピーも容易になりました。Adobe Illustrator や Photoshop といったデジタルツールもより身近になり、使いやすさも向上しています。制作だけでなく技術の習得までも、劇的に時短可能な時代といえるでしょう。
定義を変える
しかし、こうしたデジタルツールの一般化よりもかなり早い段階で、芸術家たちはすでに、古くから固定化していた「アートとは何ぞや」の定義を覆し始めていました。一周まわって、芸術は「別に唯一無二じゃなくても良いじゃん」と声高に叫び始め、ついでに大量生産・大量消費の現代社会を風刺するなど「問い」を投げかけるようになってきたのです。その代表格が、アンディ・ウォーホルによる、キャンベルスープの缶やマリリン・モンローのシルクスクリーン作品などです。
「そもさん」「せっぱ」
その後も、さまざまな芸術家たちが「これも芸術と言えまへんか」と手を変え品を変え、禅問答のように「問い」をそっと提示したり、あるいは乱暴にぶつけてきたりしています。それが「現代アート」の代表的な潮流の一つです。「芸術作品とは、美しく唯一無二のもの」という一般的な固定観念や業界の常識を打破してきた結果、すっかり小難しいものとして定着してしまった印象は否めません。
現代アートは「パンク」だった
私自身も「ちょっと面倒くさいなあ」と距離をとっていた一人でした。けれども、現代アートは要するに「既存の形式を破壊する『パンク』みたいなものか」とか、お笑いで言うなら「マヂカルラブリー(漫才の定義を揺るがした論争)みたいなものか」と考えると、少し歩み寄ってみようというモチベーションが生まれました。その結果、ずっと自分の中にあった現代アートに対する違和感の正体に気づけたのですが、それはまた次の機会にお話ししたいと思います。
| 記事タイトル | 現代アートは、マヂカルラブリー |
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| 掲載日 | 2026年5月2日 |
| カテゴリー | ブログ |
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