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校則について考える

校則について考える
前提となる事実
明らかにおかしい校則や学校独自のルールなどを「ブラック校則」と呼びます

校則は必要

人が集まればルールは必要になる

学校という場は集団生活の場だと言えます。そして、大勢の人が限られたスペースで快適に過ごすためには、ルールが必要です(参考01)。アメリカで学生服の導入が盛んになった時期に、その目的として「経済格差を学校に持ち込まないこと」や「思想や宗教上のトラブルを防ぐこと」が挙げられました(参考02)。個人の「好きだから」を追求したファッションが、他者を不快にさせたり、ひどい時には他者の信仰を傷つけたりすることは現実的には起こり得ます。学びの場では、制服をはじめとするルールの存在が、そのようなトラブルをある程度回避する役割も果たしているのです。

ルールを守る訓練と正しい向き合い方を学ぶ

社会に出ればさまざまなルールが存在し、とくに法律を遵守する姿勢を強く求められます。ルールの存在によって自らが置かれている社会が安全で快適なものになっていることや、それを踏まえてルールを守ることの大切さを学ぶ機会として校則の存在は有意義です。一方で、時代に合わなかったり、明らかにおかしいと思われる校則に直面して疑問を感じる経験は、ルールは常に適切であるかチェックされ、必要に応じて変更を加えていくことも重要であることを学ぶ機会にもなります(参考03)(参考04)。

自由を履き違えない

有名進学校の中には、服装に関するものも含めて校則がほとんどない学校も存在します(参考05)。しかし生徒主導によって服装の自由化を獲得したものの、結果的にその学校の価値を下げてしまった学校もあります(参考06)。校則には、学生の務めである学業を妨げるものから遠ざける目的もあります。例えば制服があれば、朝の忙しい時間帯に服装に迷うことなく、その分の時間を有効に活用できます。

窮屈以上の役割

ルールの存在、とくに制服があることは、気候の変化への臨機応変な対応が不十分な部分もあり、また心理的にも強制的な均一化への抵抗感などが生まれて当然です。しかし、制服があることで、学校に不審者が侵入するような事態が発生した場合には、生徒と部外者とを一目で見分けられる効果もあります(参考02)。生徒たちに多少の不便をかけていたとしても、生徒自身を守るものでもあるのです。また、制服のない大学生や高校生が、自らが所属するチームやコミュニティのユニフォームをわざわざ作るケースもたくさんあります。制服を着ることで、学校という社会に対する帰属意識や連帯感を高めることができるのです。

校則は不要

ルールはすでにある

多くの人々が快適に生活するためには、ルールが必要です。他者に不利益をもたらすものを除くためのルールとして「法律」が存在します(参考01)。また、地域や家庭という、学生が所属するコミュニティにもたくさんのルールがあります。このように、すでにルールがたくさん存在する状況で、あえて学校独自のルールを設ける必要はありません。また、ルールは手段であり目的ではないはずです。ところが、校則はその目的を明らかされず、「校則だから」という理由で従わされるケースがあり(参考02)、その意義は問い直さなければいけません。

ブラック校則

学業に専念するべき時期に、ファッションに時間を割きすぎてしまうことは避けたいところです。また、外見で個性を表現する傾向に、校則によって一定の歯止めをかけることは、過度なルッキズムの抑制にも効果があります。しかし、持って生まれた髪質や髪色を、他の多くの生徒との均一化を図るために矯正させられる校則の存在は、まさに個性を否定するものであり、個人を尊重する流れとは逆行しています。あるアンケート調査では、基準よりも髪色が明るかった場合に、わざわざ髪を黒く染めることを義務化した校則があると答えた生徒が、中学生で33.4%、高校生で37.1%いました(参考03)。他にも、下着の色を指定されているなど、「ブラック校則」と呼ばれる本来の目的が見えない校則が多く存在しています(参考03)。

「してはいけない」より「こうあるべき」

全国的に校則が厳しくなったのは、校内暴力が最も盛んだった1980年代でした。当時は、教室のガラスが割られることや、生徒が教師に暴力を振るうことも珍しくありませんでした。しかし、時代が移り、社会の価値観は大きく変容しています。教師側からも、生徒への声かけについて、服装や髪型などの校則に基づいた注意に終始するよりも、校則が無いことで本来行われるべきコミュニケーションが図れるという意見もあります(参考04)。また、最難関大学への合格者を毎年多数輩出している名門進学校には、校則がない、あるいはほとんどない学校が多数存在しています(参考05)(参考06)。他にも長野県では、約半数の県立高校で制服がありません(参考07)。外部から「してはいけない」を押しつけられるのではなく、学生が自主的に「こうあるべき」姿を考え、自らを律して行動できるようになることが、今求められている人材を育むことにもつながるのです(参考06)(参考08)。

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