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遅刻について考える

遅刻について考える
前提となる事実
交通機関がほぼ定刻どおりに運行されている日本と違い、電車やバスの遅延が当たり前の海外では、個人の遅刻も大きく問題視されることはないと言われています。

遅刻は問題である

咎められるかどうかが重要ではない

海外では遅刻をした際、連絡をしたり事情を説明したりすることによって、お咎めはないに等しい、つまり評価に影響しないとされています(参考01)(参考02)。ただし、海外では遅刻した人を待つことはせず、例えば大学では授業から締め出されて参加できなくなるケースもあります。いずれにしても、授業や会議の終了時間は変わらないので、遅れた本人は参加できる時間が短くなり、自身が参加する意義は少なくなります。これは、試験や面接でも同様です。海外において、遅刻が日本ほど評価に影響しないにせよ、試験や面接のスケジュールは決まっているため、思ったような成績を取ったり就職したりすることが難しくなります。他にも、飛行機の搭乗手続きに遅れれば、たとえ離陸していない状況であっても、後から乗り込むことはできません(参考03)。

他者の時間を奪っている

5人で行うミーティングで、誰かが10分遅刻すると、全体では50分の損失になるという考え方があります。実際には10分しか経っていなくても、その10分という時間で各々が何をできたのか、つまり出来高を合計する試算です(参考04)。海外のように遅刻した人を待たないこともできますが、現実にはそうできないことも多いです。また、遅刻者を待たず定刻にスタートしても、先生やファシリテーターが遅れてきた人に対してフォローをする労力やさらなる無駄な時間が発生します。まして、授業や会議を進行する役割にある人が遅れれば、そこに参加している人全員の時間を奪っていることは明らかです。

立場によっては、より大きな問題になる

大型旅客機のパイロットのように、遅れてしまうと多くの乗客に影響が及ぶような職業においては、絶対に遅刻しない「自己管理能力」が求められます(参考05)。また、違う業種でも「遅刻しない人/期限を守る人」の方が信頼できると評価されており、プライベートであっても遅刻は相手の心象を悪くしています(参考06)(参考07)。実際に、遅刻の頻度が高い人は低い人と比べて、昇給率や年収が低いという調査結果もあります。他にも、成功している人のひどい遅刻が武勇伝のように語られることがありますが、それが許されるのは極めて特殊なケースです。その人がいなければ成立しないくらいの存在だからこそ、時間感覚のだらしなさも許容されるのであって、その立場にない状況で遅刻してしまうと、他の誰かに取って代わられてしまうことは想像に難くありません。

遅刻は問題ではない

評価基準の中心は他にある

授業や会議に遅刻せずに来たかどうかは瑣末な事柄であり、本来であれば、「どれだけ意欲的に参加していたか」「どれだけ有効な発言をしたか」が評価されるべきです。つまり、不可抗力(交通事情や気象など)による遅刻に限らず、本人の気分や体調を理由に遅刻したとしても、授業や会議で高いパフォーマンスを発揮できれば問題があるとはいえません。とくに、遅刻理由の中でも「寝坊」は自己管理力の低さを指摘されますが、遅刻を避けるために授業の始業時間を遅くしたことで成績が向上した事例もあります(参考01)。そもそもの始業時間が適切ではなく、睡眠不足と集中力の低下を誘発している可能性も考えられるため、たとえ寝坊で遅刻してもマイナス評価の根拠とするのは疑問です(参考02)。

求められているのは時間感覚

遅刻は「スタート」にまつわる指標ですが、重要なのは「ゴール」です。遅刻してスタートでつまずいても、ゴールに至るまでを適切に管理できれば大丈夫です。時間どおりに始められても、時間どおりに終えられなければ意味がありません。社会に出て求められるのは、目標や指定された着地点に到達できるようにペース配分を行い、さらに決められた時間内でより高い完成度を目指すことです。学生も、入試や卒業に必要な単位を取ることをゴールとするならば、授業に送れず参加したかどうかは評価基準としての優先順位は低くするべきです。

立場を示す演出でもある

社会的地位が高かったり、社会的に需要の高い人物ほどスケージュールが過密になりやすく、その結果として予定に遅刻する可能性は高くなります。そのため、直接会って話せることが極めて稀でかつ価値のある相手、例えばビル・ゲイツやウォーレン・バフェット、イーロン・マスクと会える機会に恵まれれば、何時間待たされても止むを得ないと考える人の方が多いでしょう。また、意図的に遅刻することで「多忙な中ですが、特別に、あなたのために時間を捻出しました」というアピールをしたり、相手よりも立場が上にあることを強調して交渉を有利に進めようとするなど、演出のツールとして使われることがあります。サミットなどでは、覇権主義国家の首脳が会談に遅れてくることは珍しくありません(参考03)(参考04)。遅刻は、かなりフォーマルな場面においても、立場や関係性を明らかにする手段としても用いられているのです。

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