読込中

価格のつけられないもの

「便利=高価」ではない

世の中には、ものの価値を決める「価値基準」がたくさんあります。通常、便利なものには価値があるはずですが、安く簡単に作れるものの場合、価値を表す価格が下がります。プラスチック製品などがその一例です。安価なプラスチック製品は大いに暮らしに役立っているのですが、その価値を認められることはあまりありません。他方、プラスチックほど日常に溢れかえってはいませんが、同じくらい有用な素材として金(gold)があります。金は宝飾品として利用されるだけでなく、工業的にも引く手あまたの素材です。加工しやすいだけでなく、熱や電気の伝導率が高く、腐食しにくく酸化しないため昔から人々を魅了してきました。化学の萌芽とも呼べる錬金術の存在がその裏付けとも言えるでしょう。

さまざまな価値基準

プラスチックと金は、どちらも大変有用であるのにかかわらず、価格(価値)に大きな差が出ます。これは、金が有限な資源であることに尽きます。需要がある(使える)上に数に限りがあるため、金の価値は下がることを知りません。一方で、多くの人にとって必要がなく、見方によっては「大して使えない」のに数が少ないというだけで価値が上がるものもあります。例えば、その季節で初めて獲れた野菜や魚などは「初物(はつもの)」と呼ばれ、縁起が良いとして市場では高値でセリ落とされます。「シーズン初!」というだけなので、本来食品に求められる価値基準である「美味しさ」や「栄養価」はもはや関係ありません。「初物を食べると寿命が延びる」という根拠のない迷信への付加価値と、初めてのチャンスは1度きりという希少価値によって驚くような値段がつき、その多くは高級料亭などで限られた客先へと提供されます。

説明できなくても確信がある

個人的には、初物だからといってわざわざ高いお金を払うなんて酔狂な人もいるものだ、と感じます。同時に、もし私が、例えばお相撲さんのような勝負にまつわる仕事をしていたならば、「縁起」のようなものにもっと関心を示していただろうとも思うのです。それは「初物」の縁起の良さには明確な根拠を感じられなくても、季節の変化を知らせるものに心を惹かれて、価値を見出した経験があるからです。年々、夏には猛暑日が続き、暦の上では秋であるはずの9月でも残暑に悩まされる日が増えてきました。それでも「朝晩の気温は下がってきた」と感じるようになったタイミングで、どこからか金木犀の香りが漂ってきます。金木犀はいつも、花の姿より、香りが先に存在感を示してきます。

その価値の名前は?

昭和時代によく使われていたトイレの芳香剤のひとつに「キンモクセイの香り」があったのですが、本物とは似ても似つかぬ香りだったと記憶しています。近年、有名化粧品メーカーの出している「キンモクセイ」の香水は、とても良い香りでしたが、それでも天然の金木犀の香りは別格です。夏が終わり、湿度と気温が下がった空気感の中で金木犀の花の香りを味わうとき、秋の到来に気づき、とても清々しい気持ちになります。この、その年初めての「あ、キンモクセイ」を感じたとき、縁起ものである「初物」にまつわる喜びが、少し分かった気がしました。昭和の芳香剤の存在など知らない、若い世代のタレントが発信した金木犀について触れたことがバズっていたことも思い出しました。「あ、キンモクセイ」のように、世代をも超えて共感できる体験には、お金には換算できない、価格のつけられない価値があるのではと感じた今日この頃です。

記事タイトル価格のつけられないもの
掲載日2023年10月28日
カテゴリー
表示数 216views