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タイムトラベルについて考える

タイムトラベルについて考える
前提となる事実
現在の技術ではタイムトラベルは不可能です。しかし、理論上は未来へのタイムトラベルが可能だと言われています。もし、過去へも未来へもタイムトラベルが可能だとしたら、どちらに行ってみたいでしょうか。

未来へ行きたい!

未来の技術を知りたい

過去について、まだ知られていないことや検証できていない部分がありますが、私たちは確実性の高い歴史的「事実」を多く把握しています。一方、未来については「予想」や「予測」だけで(まだ起きていないので当然ですが)「事実」は何ひとつ掴めていません。つまり、多少なりとも分かっている過去より、不確実性の高い未来の方に心が動かされるのは必然です。「SFの父」と呼ばれるジューヌ・ヴェルヌ(参考01)の「人間が想像できることは、すべて実現できる」という言葉が、果たしてどのくらい正しいものなのか、知りたい人は多いはずです。現在、普及しているスマートフォンやドローンも、かつてはSF作品に登場する「空想の産物」でした(参考02)。昭和の頃、未来の想像図と言えば車が空を飛ぶ様子が描かれていましたが、それよりも電話を持ち歩くことや、そこにコンピュータを載せてしまうことの方に技術が発展してきたのは興味深いです。未来が、現代人の描く未来予想図をより拡張した形になっているのか、はたまた意外な方面での科学技術が発達しているのか、ぜひ自分の目で確認したいところです。

未来世界への貢献

SF作品だけでなく科学者や研究者によると、現在起きている気候変動と砂漠化とが相互に作用して、環境が悪化し続けると、人間の暮らせるスペースや、必要な食糧や水を確保できなくなることが予測されています(参考03)。時間の経過に伴い、形ある物体は必ず失われます。現在、永久凍土などを利用して、多くの種子を保管する「ノアの方舟」のような計画を実行していますが、気温の上昇が続けば未来へ繋げられるものは減るでしょう(参考04)。現時点で、あるいは将来的に絶滅の危機に瀕しているものを未来に届けることができれば、過去からのタイムトラベラーである現代人が大いに歓迎されるに違いありません。

過去への時間旅行への反論「親殺しのパラドックス」

タイムマシンの行き先として「未来」ではなく「過去」を選択してしまうと、自分が今いる世界に影響を与えてしまう可能性があります。その中には、結果的に自分がそもそも存在しないという最悪のケースもあり得るのです。例えば、映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」では、自分が両親の恋路を邪魔してしまい、その結果自身が誕生しないかもしれない、という危機に瀕して物語は盛り上がります。映画のように、自分の両親が知り合ったり、親しくなったりする場面に関わらなくても、過去における両親のどちらかや先祖の人生に影響を与えることには大きな危険が伴います。これは「親殺しのパラドクス」として知られています。また、自身の誕生への影響や、歴史的なターニングポイントに関与しなかったとしても、過去には存在しなかった病原菌などを持ち込んでしまうことで全人類に悪影響を及ぼしかねないのです。

過去へ行きたい!

歴史的事実を検証したい

まだ見ぬ未来への好奇心はあって当然ですが、これから起きることについては知らない方が期待を膨らませることができます。また、未来を知ることで、ずるいことをしたような罪悪感に苛まれるよりも、部分的に明らかになっている過去の歴史を検証していく方が有意義です。とくに文字や絵による記録の残されていない過去については、タイムトラベルで確認することで、新しい発見をする可能性が高そうです。例えば現在では、新たに化石が発掘されるなどして、恐竜の生態やビジュアルについての仮説が大きく変更されることはありますが(参考01)、タイムトラベルによって実際に観察できれば、これまでとは比べものにならない成果が得られるはずです。他にも、地球(惑星)そのものや地球上に生物が誕生した過程について観測できれば、今後の科学技術の発展に絶大な貢献をもたらします(参考02)。物見遊山的な未来への好奇心ではなく、歴史を精査できることでこそ、本当の知的好奇心を満たせるのです。

過去の世界への貢献

過去に行った場合に、現地(過去)の人たちにタイムトラベラーであることを理解してもらうことは難しいでしょう。しかし、時代に応じて、例えば預言者のような形で情報を提供し、大きな自然災害による人的被害を少しでも軽くすることはできます。例えば、コレラが蔓延した時代に清潔を心掛けるだけで予防効果があることや(参考04)(参考05)、津波や火山の噴火を事前に知らせることも、知らせる方法さえ間違えなければ人々から歓迎されるに違いありません。

未来への時間旅行への反論「作者不明のパラドックス」

タイムマシンで向かう先として「過去」ではなく「未来」を選択した場合、未来で得た情報を現代に戻って活用したいという欲望を抑えることは困難です。そして、その欲望に負けてしまうと自分が今いる世界だけでなく、その先の未来にも影響を与える可能性があります。例えば、スランプに陥っている小説家や漫画家が、未来で自身が発表した作品を参考にして現代でのスランプを乗り越えた場合、未来の自分のアイデアを拝借することは、他人のアイデアを盗用することと比べて問題は無いように見えます。しかし未来の自分が発表した作品について、現代の自分は何ひとつアイデアを出しておらず、そのストーリーを考えた(創出した)人はこの世に存在しないことになります。これは「原因」のない「結果」が発生したことになり、「因果律」に反しています(参考06)。現代のできごとに応じて、未来が書き換えられる(作品の発表が前倒しになる)だけでは済まない、現象としての決定的な歪みが生まれてしまうのです。

参考図書

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