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宗教について考える

宗教について考える
前提となる事実
複数の調査で日本人のおよそ6割が自らを「無宗教である」と回答しました。また、宗教に危険性を感じる人は、感じない人よりも多いという結果もあります。しかし日本人のほとんどは、年中行事や冠婚葬祭において何らかの宗教を取り入れています。

宗教は良いものである

超越的な存在によって善悪を示せる

宗教は歴史的にも、善悪の基準を示し、社会や共同体に倫理や道徳を浸透させる役割を果たしてきました(参考01)。神という人間を超越した存在を規定したからこそ実現したことです。例えば、子どもを儲けて親になったからと言って、突然模範的な人間になれる訳ではありません。しかし多くの親は、育てやすさや社会への適応を目的として、子どもに善悪(倫理や道徳)を理解させたいと考えます。その際に、超越的な存在である神がいるのであれば、親も人間なので、完璧に正しい行いができていない部分を認めることができ、その上で「神様はこうあるべきと仰っている」と諭すことができます。

人々に共同の意識を与える効果がある

人間は、宗教による儀式や行事を行い、社会や共同体を形成してきました。誕生や死別にまつわる儀式や、収穫を祝うような季節や暮らしに根差した行事は、個人よりも集団で行うことで高揚感が生まれます。その心理的効果は人々の連帯感を強めてきました(参考02)。集団を形成できる限界数(ダンバー数)が存在することは知られていますが、ダンバー数を超える共同体(例えば国家など)を可能にしたのは、儀式や行事を行う「宗教」だと言えます(参考03)。「科学」が登場し人々の指標となったのは、直近の100年程度で、紀元前から20世紀初めに至るまでは、「神」を語ることで人々は価値観を共有してきたのです。

判断や行動の選択を自動化できる

何かを決めることは、大変な労力が必要です。朝起きてから寝るまで、1日の行動を都度思考し、選択し、決定することは、あまりにも大変な作業なので、私たちは日々の活動をある程度ルーティン化(自動化)することで、過剰なストレスを回避しています。現代社会は歴史上最も選択肢が豊富な状態であり、過剰なストレスを受けやすい状況です。宗教によって行動規範が示されていることで、いくらかの選択を自動化でき、必要以上に悩まなくて済むのです。

最期に、やすらぎを得られる

科学が進歩してもなお、命などに対する根源的な問いに対する明確な答えを得られません。とくに「死」については、医療などにより多少そのタイミングを遅らせることができても、必ず誰にでも訪れますが、それを受け入れることは簡単ではありません。自分の死や身近な人の死を受容しなければいけないとき(参考04)、宗教が多くの人にとって大きな支えとなっていることは事実です(参考05)。

参考図書

参考資料

宗教は悪いものである

差別と対立を生んできた

一神教の宗教は排他的性質があり、他の一神教や多神教を認めず、差別し弾圧してきた歴史があります(参考01)。現代においてもなお、それぞれの原理主義者によって、信仰の異なる人や国に対するテロリズムが行われるなど、トラブルの原因のひとつとなっています。多くの宗教が命を尊ぶ教えを説いているにも関わらず、唯一神を崇める以上は他の神の存在を認めることはできず、そのことが戦争や紛争の火種になっているのも事実です。また、宗教によっては女性が教育を受けられないなどの男女差別が存在することはよく知られています(参考02)(参考03)(参考04)。他に、多神教については他の宗教に対して寛容である一方で、不平等を是認する性質があります(参考01)。例えば、ヒンドゥー教にはカーストと呼ばれる身分制度があり、職業が世襲によって決まるなど、前世の「業(カルマ)」を受け入れなければいけません。「業」の考えは他の宗教にも見られ、中には先天的な障害はカルマによるものであり、自業自得として扱われる場合もあります。

必要以上にお金がかかる

宗教は精神的営みであるはずなのに、金銭を要求されることがあります。「お布施」など謝礼金(受けたサービスの対価)の範囲であれば問題ありませんが、人間の「救われたい」「苦しみから解放されたい」という欲求につけ込み、全財産を投じさせるようなケースが古今東西いくつもみられます(参考05)。また、その求心力ゆえに政治と強く結びつくことも多く(参考06)(参考07)、精神的な救済よりも権力の追求に走った宗教も少なくありません。

判断や行動の選択の際に思考停止が起きる

科学が万能ではないにせよ、宗教を盲信するあまり、現代医療を拒むことで救われるはずの命を失ってしまうような事例もありました(参考08)。信仰による偏見や、判断基準の全てを宗教に頼る思考停止状態は、反社会的な行動につながる可能性も高く危険です。また近年、家族への信仰の強要も問題となっています(参考09)。もちろん、良い教えだと感じればこそ、大切な人に伝えたい、共有したいという考えに至るのは自然です。しかし、まだ自身の価値観や判断基準が定まっていない幼少期から、親という立場を利用して信仰を刷り込む行為は、子どもを一個人として認め、その人間性や尊厳を守っているとは言えません(参考10)。

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